平安時代の白〇麗子様
「源氏物語」と「蜻蛉日記」、物語と日記の違いがあるとはいえ、知名度の差は歴然と言えます。
その一因は、蜻蛉日記の作者である藤原道綱の母のお人柄にあると私は感じています。
才媛であったこのお方の、後世の評価は大雑把に「そこそこ幸せなのに、わが身の不幸を嘆き続ける共感できない女性」ではないでしょうか。
しかし私は、現代の白〇麗子様同様、不器用で一途な女性だと思います。そして性格のお悪さに気づきもせず、率直な心情を綴ったこの日記には胸を打つものがあると思うのです。
次回は、かげろうさんの夫である、藤原兼家様について語りたいと思います。
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同感です。Wikipediaによると、かげろうさんは兼家の公文書(上表文)を代筆したとか書いてあり、また、『蜻蛉日記』にある一連の和歌の掛詞の巧みさとか、左衛門督(さえもんのかみ=現代では藤原頼忠に比定されているらしい)から屏風絵に添える和歌を頼まれる件とか、その知性は、周囲から相当に一目置かれていた気がします。兼家さんが邪険にされながらも途切れ途切れにもかげろうさんを訪れたのは、そのインテリジェンスが、公私に、蔑ろにできないものになっていたからのような気がします。そういうインテリで気位高い人のまさに不器用な生き方(付き合う方にとっては難儀)がリアルに綴られているからこそ、待つだけの貴族女性の在り方を越えて愚痴る人だったからこそ『蜻蛉日記』は面白いのだと思いました。