最強のライバル!夫の妻、藤原時姫様!
蜻蛉日記の作者である藤原道綱の母と時姫、同じ男の妻としてスタートはほぼ同じなのに、ゴールはあまりにも差がついた感のある二人。
時姫の勝因を考えてみました。勝手に。
その1・平安時代の「いい女」
男性社会に都合のいい女を「いい女」と呼ぶ風潮もあります。一夫多妻制の平安時代、妻はひたすら夫が来るのを待つだけでした。時姫は、さり気なく居心地の良い空間を作れる女性だったのではないのでしょうか。夫の人柄を見極め、自分に有利に事が運ぶよう操縦すらできたのかも知れません。おとなしく振舞いながらも。
少なくとも夫が来て門を叩いているのに、知らん顔して追い返したり、久し振りにきたら冷たい態度を取ったりはしなかったのでないかと。
その2・とにかく強運
子宝に恵まれ、子供も優れた資質に恵まれました。夫・兼家は将来性のある子供を気に掛け、その結果その家に兄弟姉妹が増えたのではないでしょうか。
当時の子供の養育は、妻とその実家に一任されていましたから、運だけでなく、子供が心身ともに健やかに賢く育ったのは母である時姫の功績が大きいのではないでしょうか。夫同様、藤原氏の栄華への礎となりました。
とはいえ、ライバルとは全く違う形で、藤原道綱の母も歴史に名を刻みました。
次回は、最愛の一人息子、道綱について語りたいと思います。
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