今昔とんでも物語【71】究極の終活


今回は、預言者のような僧のお話です。平安時代末期の説話集「今昔物語」の中から「とんでもない」話をご紹介していきます。
比叡山の僧・成意さんの往生(15巻5話)
雑なストーリー①・昔、あるお寺に心の穏やかな立派な僧がいました。当時は「持斎」という午後からは食事を取らない修行システムの僧が多い中、朝夕しっかり食べたいタイプでした。
不思議に思った弟子の1人が「どうしてですか?」と聞くと「自分の育った家はビンボーだったから、食べ物はある時に食べておきたいんだよね。心を込めてお経を読めば食事の事はどっちでも問題ないって教えに書いてあるし」と答えたので弟子は「なるほどねー」と納得しました。
雑なストーリー②・その数年後のことでした。僧が「今日のご飯は多めにちょーだい」と言うので弟子はその通りに作って運びました。すると僧はその食事を弟子たちに分けながら自分もしっかり食べました。そして「これが自分の最期の食事ですから」と言いました。
雑なストーリー③・さらに僧は、自分の友人たちにお手紙を届けるよう弟子たちに言いつけました。しかし手紙の内容は「私は今日、あの世に旅立ちますので次は極楽で再会しましょうね」とあったので弟子たちは驚き言いました。「お元気なのに今日死ぬなんて冗談が過ぎますよー」
雑なストーリー④・すると僧は「そういわず、お手紙届けて来てよ。もし明日も自分が生きていたら、自分が頭がおかしくなったと思われるだけだから」と言うので弟子たちは言われた通りに手紙を届けました。
雑なストーリー⑤・それから僧は西に向かって合掌して座ったまま息絶えました。弟子たちや周囲の人は「病気とかでもなかったのに自分の死期が分かるなんて凄いなぁ」「極楽往生は間違いなしだ、明日はホームランだ」と感心し褒め称えました。
野式部の雑な感想
人の生き死にとは無情なものです。死も本人の気持ちや都合お構いなしに来たり来なかったり。そんな中、自分の死ぬ時を正確に察知できるとは凄まじい能力だなぁと感心します。ただ、あまたの僧の中には「これやっ!」と予兆しても外れちゃった人もいるのでは、と思ってしまいます。その人が良い人なら「まだ生きていてくれて良かったぁ」と喜べるのでしょうが。

次回は「今昔とんでも物語【72】」を、お送りします。恐怖の失踪事件のお話です。
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