野式部の私の好きな古典BEST10⑧

面を外す世阿弥

第4位 「風姿花伝」世阿弥

個人的に好きな、心に残った古典作品をベストテン形式で発表していこうとゆう呑気なシリーズです。お気軽に読んで頂ければ幸いです。なお、「古典」の解釈も呑気となっております。

悩める現代人、必見!門外不出だったビジネス書!

「花伝書」の訳を読んで、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けました。これが600年以上前の人間の書いた物なのかと。しかもこれは、特別な芸能を収める後継者だけのために書かれた指南書なのです。いつものように僭越ながらも、深淵なる花伝書の世界をご紹介したいと思います。

言わぬが花、時空を超えた普遍的な美学の世界

「言わぬが花よ」。子供の頃から聞いていたし、使ってもいたこの言葉が、世阿弥の言葉が由来だったとは。しかも「言わない方がいいよ」くらいの感じで使っていました。(秘すれば花、から派生した感じの言葉かと)この「花」とは、能の世界の、到達点のような意味合いかと思います。「華」に近いかも。実体のない観念的な。この「花」についての記述、すべてが人生にも仕事にも、当てはまってしまうのが、怖いほどです。

微に入り細に入り…教育書のバイブル!パパ直伝!

能を学ぶ者の中でも、見込みのある跡継ぎにしか伝えられなかった「花伝書」。年代別の教育法を記してあります。例えば、小さい頃はガミガミいうと嫌になるから好きにさせて。少年期はピチピチでキュートで「時分の花」があるから難しい事はさせなくていいけど、若い頃の人気を実力だと勘違いしたら駄目。そのあと変声期があるから喉を大事に、などなど今聞いても全く遜色ない、根性論でもない、真摯に向き合った人にしかわからないであろう、芸術の極意を惜しげもなく記す世阿弥。能への深い愛が感じられます。

とはいえ、たまに謎の教えも…うぐいすは何の比喩?

「飲む(酒を)打つ(賭け事系)買う(女性との関わり)」。のめり込む事が修行の妨げになる、とした世阿弥。現代でもその通りではないでしょうか。しかしそれら同様、禁じた事柄の中に「うぐいすを飼うな」とゆうのがあります。ちょっと分かりづらい。その理由を憶測してみます。

①言葉の通り、鳥の中でも鶯を飼うと、修行の妨げになる。みんなの想像よりヤバめ。

②何かの比喩。鶯のような、可愛い他人を溺愛すると、修行の妨げになる。

③代々家系に伝わる家訓。

④確かな才能に恵まれた人物が、鶯で身を持ち崩すケースを身近で見たのでどうしても伝えたい。

これは分からないけど、世阿弥のお言葉に間違いはないのです。現代では飼えないですし。

あくまでもストイックに邁進した、世阿弥の波乱の人生

世阿弥は、能の祖とされる、父・観阿弥とともに、能の地位と芸術性を高めたとされる人物です。有名ですが、室町時代、足利三代将軍、義満の庇護を受けました。とはいえ美形だった世阿弥と将軍の間には愛があったゆう説も。アニメ「一休さん」で大人げなく一休さんに絡んできた将軍は義満だったのでした。一休さんが可愛かったせいもある?

そんな絶頂期の後に、将軍も代替わりしまして。甥っ子役者を寵愛して世阿弥を冷遇する将軍も現れます。跡取り息子に先立たれてしまったり、なんと島流しにされてしまう世阿弥。どんなに良い時も悪い時も変わらず、ひたすら芸の道に向き合い続けた世阿弥の姿勢は、気高く美しく、胸を打ちます。

次回は,野式部の私の好きな古典、第 3位を発表します。


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