もしもシリーズ①「もしも道綱の母が他の人と結婚&再婚したら」

大好きな「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母の、色々な「もしも」を考えるシリーズ、第一弾は当時の女性の人生を左右する「結婚」について考えたいと思います。勝手に。

そもそも、どうして道綱の母は19歳で結婚したのか

有名な美人で詩歌の才能にも恵まれていた、道綱の母。とにかく求愛の文が沢山届いていただろうに、結婚が19歳になった可能性の一つに、本人も周囲も「ふさわしい相手」を求めていたから、ではないかと思うのです。そして選んでる内に何だかわからなくなってきて、そこに身分の高い貴公子が熱烈にアプローチして来たので結婚を決めた、とゆう感じに思えます。

「ある物に目が行く人」と「ない物に目が行く人」

大雑把に人間には「自分の持っている物に目が行く人」と「自分の持ってない物に目が行く人」とがいると思うのです。前者はそれなりに精神的にも落ち着いた生活を送れるのに対して、後者は例え前者の何百倍の物を持っていたとしても常に持ってない物が気になる、不満が残る人生なのです。道綱の母はまさに後者ではないでしょうか。向上心があるとゆう解釈もできるのかもしれませんが。

結婚した相手は家柄がとても良く色男で多情でした。その浮気に苦しめられることになるのですが、もし真逆の男性(道綱の母の父親のような真面目で家族を大事にする)と結婚したら幸せな人生を送れたのでしょうか。たぶん無理だと思うのです。清々しいほど政治に興味のなかった主人公ですが、真面目に一途に愛してくれる夫だったとして、出世に興味を示さない、あるいは示しても出世できない男だったら、どこか見下してしまうのではないでしょうか。自分にふさわしくない夫と思うかもしれません。

もしも高貴なイケメンが一途に愛してくれたら

夫・藤原兼家と同じくらいのいい男が浮気もしなかったら、幸せな結婚生活を送れたのでしょうか。でも、どこにでもいるレベルの殿方ではないのです。万が一いたとして、その心を生涯つかんで離さない程の、妻としての実力が、道綱の母にあったのか、難しく思えてなりません。

「もし、他の男性と再婚したら」

平安時代、男は一夫多妻制でしたが、女も離婚は割と自由でした。せっかくの美女が結婚生活に嘆き悲しむ姿を見て「再婚したら?」と勧める人もいたのです。再婚したら幸せになれたのでしょうか。

やはりこちらも難しく思えます。もし再婚相手が、前夫より高い身分や家柄の人なら問題はないかもですが、大体の貴族は下になってしまいますから、その人も上司が妻の元夫って気まずいですよね。妻は有名人ですし。元夫もプライドが高いので、嫌みとか出世の邪魔とか冗談交じりにするかも知れません。

何よりも妻がないものねだりで、新しい夫と元夫を比べて嘆くかもしれません。結局、内容は変わっても嘆き悲しむ人生に変わりはないのかもしれません。

「やっぱり、この人で良かった」

色々、妄想の翼を広げて書き散らかして最後になんか綺麗にまとめる気?って感じですが、思うのです。この夫婦は、色々揉めたりもしましたが、お互いに対する捨てきれない執着があったのだと。そして蜻蛉日記は、この夫婦だったからこそ、これほど興味深く胸を打つ日記なのだと、感謝せずにはいられないのです。

次回は、もしもシリーズ第二弾「もしも道綱の母が宮中の女房勤めをしたら?」を語りたいと思います。


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