今昔とんでも物語㉒「瓜を盗んで勘当された子供」

犯罪の萌芽

平安時代末期に編纂された説話集、「今昔物語」には、沢山のお話があります。かなり自由な、その中でも、特に心に残る「とんでもない」と思える話をご紹介していきたいと思います。今回は、特に考えさせられる、親子の物語です。

先見の明か、育児放棄か、人類の大問題!

雑なストーリー①・ある屋敷の父親が、いい瓜を貰ったので「これは人様に差し上げたいから絶対食べちゃ駄目だよ!」と家の者全員に言い聞かせ、瓜を厨子(タンス)にしまって出かけます。しかし帰ってきて確認すると、瓜は1つ足りません。父親は家族、使用人を集めて家族会議を開き犯人を捜します。誰もが知らないと言いますが父親は「絶対これは家の中の者の仕業だから!」と厳しく追及しますと、ある使用人が重い口を開きます。「あの坊ちゃんが盗むのを見ました…」それを聞いた父親は直ちに、村の長老みたいな権力者を、屋敷に呼びにやらせます。

雑なストーリー②・呼ばれた長老が来ると父親は「この息子と親子の縁を長期間切りたいので、証人になってもらいたい」と書類を用意するのでした。理由は言わないけど父親が真剣であると感じ取った長老は、署名をします。そして瓜を盗んだ子供は、家を出されてしまうのでした。事情を知る家の者は「いくらなんでも瓜一個の事で、小さい子を勘当するなんて」とひそひそ、陰で囁き合うのでした。子供の母親も驚き抗いますが、一家の主の決めた事なのでどうにもできません。

雑なストーリー③・数年後、勘当された息子は成人して、人の家で働きますが、盗みも働いて警察に捕まってしまいます。そして当時の価値観として、連帯責任で、息子の父親を捕まえに来ます。すると父親は「その子とはとうの昔に他人だから!」と例の書類を取り出して見せるのでした。念のため証人の長老を呼び話を聞くと、その通りだ、との事なので父親は何の咎めも受けずに済んだのでした。

昔、非難していた者達も、この家の父親を、口々に褒めそやすのでした。

野式部の雑な感想

これは大変難しい話です。両方の立場を考えてみたいと思います。

子供の立場から・食べたい盛りのお年頃、つい食べてしまったら、なんと勘当。ひねくれて「本当に悪い奴になったらぁ!」と、悪の道へ。親に連帯責任があると知って、腹いせを兼ねて泥棒を。しかし、親は書類を持ち出し、無関係を主張。ますます荒れます。

親の立場から・「絶対に駄目」と言った物に手を付け、さらに「知らない」と平気で噓をつく我が子の言動に犯罪者の萌芽を見たのです。「三つ子の魂百まで」と言われるように、親の愛とか指導鞭撻が及ばない子の本性を、父親は見越していたのです。

子供にとって生まれ育った環境は、人格形成に大きく関わります。しかし前世とゆうものがあるとすれば、1人1人「前世からの手土産」があり、それは親でも関われない物なのではないでしょうか。平穏な家庭に突如、想像を絶する残虐性を持つ子供が現れるのは、そうゆう事ではないかと思ってしまいます。

とはいえ現代人に求められているのは、心配な子供を見捨てて手続きして「自分には無関係」と安堵する事ではないのです。見て見ぬ振りをせずに、本人の為にも被害者を出さない為にも、しっかりと認識して、見守る事が必要なのではないでしょうか。

次回は「今昔とんでも物語㉓」をお送りします。非力な女性に襲い掛かる過酷な運命、でも彼女の決断の、タイミングが不思議に思えるお話です。


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